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1999年2月11日 東京・後楽園ホール
フリー同盟SSU結成
 98年末、GAEAマットに衝撃の初登場を果たした飛鳥は、結託したアジャと尾崎率いるOZアカデミーに加え、ラスカチョの懐柔にも成功。フリー同盟・SSU(スーパー・スターズ・ユニット)を結成し、GAEAに全面戦争を布告。3月15日後楽園大会では、横浜決戦に運営権その他を含む会社の全権利を賭けることを要求し、これを受諾させることに成功。
ユニット列伝 SSU編




1999年4月4日 神奈川・横浜文化体育館
長与vs飛鳥 10年ぶりの一騎打ち
 旗揚げ4周年記念大会は10年振りの激突となった長与vs飛鳥をメインに、体育館設立史上最高の観客動員数(6300人)をマーク。メインは火炎攻撃からのタワーハッカーで飛鳥が勝利し、SSUが全権奪取に成功。また、セミではキャリア4年の里村がアジャを破る大金星を挙げ、新時代到来のノロシを上げる。




1999年4月25日 東京・後楽園ホール
SSU、全権奪取
 横浜大会で全権奪取に成功したSSUは、長与の前座落ちやマッチメークの直前変更に続き、5月18日後楽園大会でのAAAWシングル王座戦を発表。長与がこの試合でアジャに敗れて王座から転落すると、謹慎欠場を発表するなど、権力を楯に強権を行使。




1999年6月20日 東京・後楽園ホール
長与、米国より凱旋
 SSUにより強制欠場させられた長与は極秘裏に渡米。サンタモニカで科学的トレーニングによる肉体改造を施し、イメージチェンジして後楽園に凱旋。三田を秒殺すると、その場でマスコミ・観客同席による公開討論を提案し、同席上において9月の横浜での飛鳥とのリベンジ戦を取り付けることに成功。


1999年7月19日 東京・後楽園ホール
北斗晶、電撃復活 SSU2派分裂
 メインのタッグタイトル戦(シュガー&永島がアジャ&尾崎から王座奪取)終了後、OZアカデミーとアジャ・コングがSSUからの離脱を宣言。同時に長期間戦線から離れていた北斗晶が電撃登場し、尾崎らと結託。これにより、SSUは飛鳥派とOZ派の2派に分裂した。




1999年8月29日 大阪・IMPホール
飛鳥派とOZ派による権利マッチは飛鳥派が勝利
 9月15日横浜大会に向けての会見上、飛鳥vs長与戦に賭けられる権利の所在を巡り、飛鳥派とOZ派が紛糾。大阪大会において6人タッグで権利争奪戦を行ない、下田が飛鳥をフォール。飛鳥派が全権を手にする。試合後、飛鳥は長与を挑発するが、登場したのは長与ではなくZERO。長与が勝てば権利奪回、飛鳥が勝てばZEROとしてSSU入りという対戦条件を前に、波紋を呼ぶ。




1999年9月15日 神奈川・横浜文化体育館
長与、全権奪回に成功
 4月と所も同じ横浜文体で飛鳥とのリベンジ戦に臨んだ長与は、試合直前にノールール戦を提案。まさかのビッグファイアーからデスバレーを決めて飛鳥から初のフォール勝ちを収め、半年振りに権利奪回に成功。1週間後の後楽園ではラスカチョが飛鳥に三行半を叩きつけ、SSUは完全崩壊。





1999年10月2日〜3日 北海道・札幌テイセンホール
チーム・ノストラダムス本格始動
 SSU崩壊と共に、チーム・ノストラダムスが急台頭。手段を選ばぬゲリラ戦法で札幌では飛鳥を、10月23日後楽園では長与を病院送りに。また、11月27日後楽園での6vs6敗者手錠監禁戦では、イメージチェンジした山田が逆転3連勝でGAEAに勝利をもたらすも、RIEが竹内を流血拉致し、ノストラダムスに寝返る。
ユニット列伝 チーム・ノストラダムス編


1999年10月11日 京都・KBSホール
第3回HS600トーナメントは加藤が優勝
 神戸・大阪・京都の3日間に渡って行なわれた同トーナメントは、RIE、尾崎、長与、里村を連破した加藤が2度目の優勝を果たし、賞金100万円を獲得。





1999年12月27日 東京・後楽園ホール
長与と飛鳥が歴史的握手も、3軍抗争へ突入
 長与&里村と飛鳥&加藤がメインで対戦するも、ノストラダムスが乱入し、ノーコンテストに。激怒した長与と飛鳥はW正拳を復活させ、ついに握手を交わすも、即時復活は飛鳥が拒否。飛鳥はKAORU、アジャ、加藤と新派閥“DorA”を結成し、GAEAマットは3軍抗争に突入。また、年明けからはノストラダムスがユニット名を“卑弥呼”に改名。
→ユニット列伝 DorA編 卑弥呼編