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2002年-2005年



2002年2月3日 ガイア株式会社へ社名変更
 関連事業の統合及び業務拡大に伴い、社名をガイア株式会社へと変更。新たにエンターティメント事業部/スポーツプロモーション事業部/映像制作事業部/ブロードバンド事業部/ライセンス・デザイン事業部の5部門が確立される。


2002年4月7日 横浜文化体育館
旗揚げ7周年&北斗晶引退記念大会を開催し、超満員の観客を動員。
浜田文子が初参戦したファイナルマッチでは、北斗が勝利で有終の美を飾った。また、試合後には盛大な引退式を挙行。夫・佐々木健介氏や息子・健之介君も登場するなど、プロレス史に残る感動のセレモニーとなった。


2002年10月20日 横浜文化体育館
秋のビッグマッチ“横浜MEGA RIDE"を、横浜文化体育館で開催。
GAEA史上初の4面スクリーンにより演出された同大会では、AAAW両タイトルマッチを軸にした豪華カードの数々に加え、プロレスリングZERO-ONEが特別参戦。男子外国人勢によるタッグマッチがラインナップされた。


2002年11月10日 輝優優、カルロス天野正式入団
10月20日横浜大会に参戦した輝優優(元JWP)が試合後、GAEAへの入団を表明。11月4日より所属選手となる。
また、輝に続き、フリーとしてGAEAマットにレギュラー参戦していたカルロス天野も、11月10日名古屋大会より正式入団。両選手は所属第一戦でタッグを結成し、勝利を収めた。


2003年4月6日 GAEA JAPAN旗揚げ8周年記念大会
旗揚げ8周年記念大会を横浜文化体育館で開催。
外国人レスラー“GAEA BOYZ”の参戦、アジャと堀田の遺恨マッチ、エキセントリックとD-FIXの髪切りマッチ他、過去の記念大会とは毛色の異なる、異色の大会となった。


2003年7月5日 Brat Pack Match開催
団体の枠を超えた平成世代による大会を、GAEA一期生が中心となって開催。
NEO、そしてGAEAとは交流の途絶えていた、全女の同世代が名乗りを上げて参戦するなど、エポックメイキングな大会となり、第4回まで開催された。


2003年10月24日 大村チャリティー大会開催
長与の故郷・長崎県大村市でチャリティー大会を開催。
県内福祉施設児童を招待し、4600人の観衆を集めて大成功を収めた。
また、9月には東京スクール・オブ・ビジネス専門学校とのコラボレーション大会や、大阪・船場地区のイベントに協力するなど、イベント系大会が多数開催された。


2004年4月30日 GAEA JAPAN旗揚げ9周年記念大会
旗揚げ9周年記念大会を、初使用となる代々木体育館第2競技場で開催。
円形会場の特性を生かした舞台演出が施された。
里村と浜田、平成世代同士がビッグマッチで初のメインイベントを飾った他、クラッシュ2000がシュガー&永島を下し、15年振りのタッグ王座獲得に成功。


2004年10月3日 GAEA JAPAN解散発表
全試合終了後、所属選手全員がジャージでリングへ上がり、木村社長がマイクで翌春の団体解散を発表。
会場が驚嘆の声に包まれる中、長与が選手を代表し、残された半年間、精一杯ファイトすることをファンに誓った。


2004年12月12日 山田敏代現役引退
97年よりGAEA所属選手として活躍した山田敏代が現役を引退。
首の負傷が原因のため、引退試合は行なわれなかったが、感動的なセレモニーの最後に、ファンによる史上最多数の赤い紙テープが飛び、山田は悔いなく現役生活を終えた。


2005年4月3日 GAEA JAPAN旗揚げ10周年記念大会
記念すべき旗揚げ10周年記念大会にして、GAEA最後のビッグマッチを横浜文化体育館で開催。
メインイベント・クラッシュ2000ファイナルマッチ終了後には、ライオネス飛鳥引退セレモニーが行なわれ、同時にクラッシュ2000も永久に封印された。


2005年4月10日 GAEA JAPANラストマッチ
GAEA JAPAN解散大会を、旗揚げの地・後楽園ホールで開催。
ファイナルマッチでは、長与と里村が最初で最後のシングルマッチを戦い、試合後、長与の引退セレモニーが行なわれた。
また、広田さくらも突然の引退を表明。惜しまれつつも笑顔でリングを去った。
解散セレモニーでは、ベルトの返還、団体旗の降納が行なわれ、最後は選手がファンに挨拶。
そして選手達がジャージをリング中央に静かに置き、GAEA JAPAN10年の歴史に終止符を打った。



1994年-1997年  1998年-2001年